寛永12年の参勤交代制度のもとでは

諸大名は1年毎に江戸と自領を行き来し、妻子は人質として江戸に常住しなければならないと同時に、その旅費や江戸の滞在費を全て大名に負担させていた。

ただし、水戸徳川家などの一部の親藩・譜代大名は、領地が江戸に近かったり領地が小さいことから、例外として交代を行わずに江戸に常駐し、定府と呼ばれた。

また、交代寄合と呼ばれる格式の高い旗本は大名に準じて参勤交代を行った。

参勤交代制度の目的は、諸大名に出費を強いることでその勢力を削ぎ、謀反などを起こすことを抑止するためだったとされる。

ただし、幕府としても本来の趣旨は軍役奉仕であったため、藩財政が破綻して軍役が不可能となることは、参勤交代の趣旨を根底的に否定する事になるため、大名行列の制限を行うなどの措置を採っている。

参勤交代は軍役であるから、大名は保有兵力である配下の武士を随員として大量に引き連れて江戸に出仕し、領地に引き上げねばならないため、移動の際に大名行列という大掛かりな行進を行う必要があった。

このために費用がかさみ、参勤交代は大名の財政を圧迫することとなった。
update:2010年02月22日